SRI  LANKA

インドの喧騒と、崇高な哲学に疲れたら

スリランカに行くがいい…

蒼い海と、陽気な人びとと戯れ

鋭気を養い、再びインドに挑戦するがいい…

 1977年 Katunayakeのジュディ一家で

インドからスリランカに初めて入ったのは、1977年(昭和52年)。この一家との付合いは、ジュディ一(向かって二人目)のボーイフレンドのアントンが、「民泊やっているから、泊まらないか?」との声から…

そこは、空港のある小さな町だった。

1984年に札幌でオープンした「スリランカ狂我国」のスリランカ・スープカリーの第一歩は、ここから始った。

1979年 Katunayakeのジュディ一家で

水谷正巳38歳、ニシャン6カ月。

アントンとジュディーの結婚は、定職に就かないアントンを巡り一悶着。時には、二人の連絡役になったりしたあげく、目出度くゴールイン。

 名付け親は私、日本車のNISSANから…

1984年  Katunayakeのジュディ一家で

水谷美恵子38歳、ニシャン5歳。

アントンとは、喧嘩をしながらも長い付合いとなる。スリランカ人特有の自己主張が強く、別れ際にはもう来るものかといいながら、スリランカに着くと彼の所に足を向けてしまう。

この時、財布からお金を抜かれる事件がおき、美恵子はもう二度と行かないと言い出す。まあ、スリランカでは自分の不注意でしかないと、割り切らなければ生活できないから…。それから、二人のときはアントンの家に行くことなかった。

   

1995年  Katunayakeのジュディ一家で

水谷正巳54歳 ニシャン16歳。

10年ぶりに訪れたジュディー家。ニシャンは高校2年生に成長していた。

風来坊のアントンも定職につき、空港で働いている。18年間見続けてきたこの一家。このように、ある一家を見続けるのが好きだ。その国で成長していく過程の一端を見ることができるから…。

   

2003年  GOOLのシナモン農場

水谷正巳62歳。

スリランカのシナモンは、世界一といわれている。

シナモンの樹の皮を剥がし乾燥させて、クルクルとステック状にでき上がった物は、香り味と最高級品になる。

10キロのシナモンを買い込み、日本に持ち帰る。 

GOOLのフセィン・ババ家 1978年 水谷正巳37歳 宝石の原石と

 

フセィン・ババ家と知りあったのは、1978年。

GOOLの駅につき、客引きの少年にゲストハウスに案内された後、「日本語を話せる人を知っている!」と言われた。「よし!そこに連れていけ」と行った家が彼の家だった。

宝石商で、日本にも商売で来ているという。彼の「それだったら、この家に泊まりなさい!」という言葉に甘え、一週間も居候生活を送った。

それからスリランカに行くと、ババ家に居候生活をするのが常であった。

1983年 フセィン家での夕食 水谷正巳42歳 水谷美恵子38歳

 

フセィン・ババ家は、アラブ貿易商人の末裔でスリランカに住みついたのだ。GOOLに居るのは金〜日曜日だけ。平日はコロンボのオフイスで商売している。

その間は、私たちと5人のメイドさんだけの生活。自分のメイドさんのようなもので、快適な居候生活だった。

 自分も、いつしか日本で宝石の商売を始め、コロンボのオフイスで仕事を手伝うようになった。

1984年 フセィン家のメイドさん

 

 

朝目覚めると、まずコーヒー。それから時間をおいて紅茶が出てくる。

それから朝食。いつもはパンとバター、タマゴとサラダ。でも、私の好みは、昨晩残ったスープカリーにパンを浸して食べるのが一番。

昼・夕食はスープカリー。カツオ、牛肉、鳥肉、タマゴ、ナスにキャベツ、いも等が添えられる。

私は、肉魚類ばかり食べるので、「マサミ!野菜も食べないとダメ!」と、いつも叱られる。

昼間は、近くのウノワァトナーの海岸でのんびり過ごすのが日課。